専門家からのアドバイス
2025/05/21
【口臭も心臓病も防ぐ】歯科治療のプロが教える「シニア犬のための歯周病講座」

犬の歯垢はわずか3日で歯石へ変化し、その表面で繁殖した歯周病菌が血流にのって全身に広がります。
「たかが歯周病」と対応を先送りにした結果、心臓病や腎臓病の引き金になるケースも少なくありません。
「高齢だからもう手遅れ、ということはありません。
シニア犬でも、毎日きちんと歯みがきを続ければ歯周病は十分コントロールできますよ」
これまで1,000頭以上の口腔疾患を治療してきた鈴木憲人先生はそう話します。
歯周病を「シニアだから当然」と思い込まず、改めて口腔ケアについて見直してみませんか?
本記事では、シニア犬の歯周病リスクや治療費の目安、早期発見や歯磨きのポイントについて聞きました。
鈴木憲人
獣医師
日本大学生物資源科学部獣医学科卒業。
荻窪ツイン動物病院で米国認定医の下、歯科全般を研鑽し累計1,000件超の歯科治療を担当。
現在はhanaペットクリニックで歯科診療と予防啓発に注力している。
目次
シニア期は進行が早まる歯周病

歯周病とは、歯と歯ぐきの境目(歯周ポケット)にたまった歯垢や歯石に細菌が繁殖した結果、歯肉に炎症が起こる病気です。
初期は歯肉の軽い赤みや口臭といったサインにとどまりますが、炎症が続くと歯を支えるあごの骨(歯槽骨※)にまで及び、歯がグラつく、抜け落ちるといった深刻な状態へと進行していきます。
特にシニア期は、加齢による免疫力の低下や食習慣の変化も重なり、進行スピードが加速しやすくなるのです。
※歯槽骨(しそうこつ)…歯を支えるあごの骨で、歯根を取り囲む部分
「犬は虫歯になることはほとんどありませんが、3歳以上では約8割が歯周病にかかっているといわれます。特に7歳を過ぎると軽度だった歯周炎が短期間で急速に悪化するケースも少なくありません」(鈴木憲人先生・以下同)
シニア期に歯周病が加速する3つの要因
要因 | 口の中で起こること |
---|---|
①噛む力の低下 (こすり落としが減る) |
若い頃はフードを「ガリッ」と砕く摩擦で、歯の表面に付いた歯垢が物理的にこすり落とされる。 ところが加齢で咀嚼力が落ちると〈砕く力+摩擦〉が弱まり、天然の歯みがき効果が失われます。 結果、歯と歯ぐきの境目に歯垢が留まりやすくなる |
②フードが軟らかく/粘り気のあるタイプに変わる | ウェットタイプや半生フードは歯面や歯間に張り付きやすく、粘着性も高め。 硬い粒を砕く摩擦がないうえ、歯垢の温床になりやすい食渣が残りやすい環境に変化。 |
③免疫力のゆるやかな低下 | 歯周ポケットで起きた炎症を抑える力が弱まり、赤み・腫れが慢性化しがち。 軽い歯肉炎があごの骨へ広がるまでの時間が短くなる |
「歯周病で増殖した細菌は、歯茎の炎症だけにとどまらず顎の骨を破壊し、上顎では鼻腔にまで達することがあります。そのため、愛犬に粘り気のある鼻水や血が混じった鼻水が見られたら要注意です」
7歳は歯周病の進行が加速し始める見逃せない分岐点なのです。
歯周病を放置すると起こりえるリスク
歯周病を放置した場合のリスクは大きく3つ。
- 顔まわりへの悪影響(腫れ・くしゃみ・顎の骨折)
- 歯周病菌が全身へ(心臓・腎臓・免疫力ダウン)
- 愛犬のQOL低下(慢性的な痛み・食欲不振)
それぞれがどのように起こるのかを順にみていきましょう。
①顔まわりへの悪影響「腫れ・くしゃみ・顎の骨折」

炎症が骨にまで進むと、犬歯や奥歯の根元から膿が溜まって頬が腫れたり、鼻腔に膿が漏れてくしゃみが止まらなくなることもあります。
小型犬では顎の骨折につながる例も見られます。
「歯がグラつく頃には、症状はすでにかなり進行しているため、早急な治療が必要です。顔が腫れるほど進むと、多数の抜歯が必要になる可能性もあります」
➁歯周病菌が全身へ「心臓・腎臓・免疫力ダウン」
歯周病菌は歯周ポケットの毛細血管から血流へ入り込み、細菌性心内膜炎※や腎機能の低下を招くリスクが指摘されています。
「歯周病の菌が体に回って心臓の病気を起こしたり、腎臓が悪くなることは論文でも報告されています。高齢になり免疫が落ちるほど負担は大きくなるので、歯周病は口だけの問題ではありません」
※細菌性心内膜炎…血流に乗った細菌が心臓の内膜に付着し、炎症を起こす疾患。
③慢性的な痛み・食欲不振「QOLの低下」
歯周病が進むと、犬は四六時中痛みを抱えるようになります。
噛むたびにズキッと響くため硬いフードやおやつを避け、食事量も落ちがちに。
さらに「口が痛い=楽しくない」状態が続くことで散歩や遊びへの意欲も薄れ、活動量そのものが減ってしまいます。
こうして生活の質(QOL)はじわじわと下がり、シニア期の体力や筋力低下を一層早めてしまう恐れがあります。
こうした事態を防ぐには、私たちに何ができるのでしょうか。
【簡単】自宅でできる歯周病セルフチェック

「口臭や歯ぐきの赤みなど、ほんの小さなサインに気づければ、多くの子はクリーニング(麻酔下でのスケーリング+ポリッシング)だけで済みます。正常と異常の違いは、普段から見ていないと分かりません。愛犬を迎えたその日から口腔チェックを生活の一部にしていただきたいです」
以下に、家庭でチェックしたい項目を一覧にしました。
愛犬の口をそっと開き、表と照らし合わせてみてください。
どれか一つでも当てはまれば、悪化する前に動物病院へ相談するのが良いでしょう。
<見逃さない口腔チェックリスト>
観察ポイント | 症状(異変の目安) | 主な原因 | 飼い主ができること | 動物病院で行なうこと |
---|---|---|---|---|
口臭 | 急に強くなった | 歯垢の増加・歯石化の始まり | ・歯みがき頻度と磨き方を見直す ・経過をメモ |
口腔内検査(視診)/クリーニングの要否判断 |
歯ぐきの色 | 歯と歯茎の境目に薄い赤線や腫れ | 歯肉炎(歯周ポケットで炎症発生) | 磨き残し部位を重点ケア | ごく軽度であれば歯みがきの励行でしばらく管理。 歯石の付着により管理が難しい場合は全身麻酔下でのクリーニング(軽度の場合) |
歯みがき時の出血 | 軽く当てても血がにじむ/痛がる | 歯周病の進行 | 出血部を擦らないようにして早期受診 | 全身麻酔下での歯周ポケット清掃・クリーニング |
歯石の量 | 歯の表面の着色・ザラつき | 歯垢が石灰化し硬い歯石に | 自宅除去は不可。 受診を優先 |
全身麻酔下でのクリーニングで歯石を除去 |
鼻 | くしゃみ/鼻水 | 歯周炎が歯槽骨を溶かし鼻腔へ貫通した可能性 | 早急に病院へ(市販薬や様子見は禁物) | 歯科レントゲン/CTによる評価、抜歯・抗菌薬投与 |
顔の異変 | 顔の腫れ | 歯根に膿がたまっている可能性、骨折、腫瘍など | 早急に病院へ(市販薬や様子見は禁物) | 歯科レントゲン/CTによる評価、抜歯・抗菌薬投与 |
現状は異常がない場合でも、上記ポイントを定期的に観察・記録しておくと小さな変化を捉えやすくなります。
今夜から始める「3ステップ歯みがき」で歯周病予防
愛犬を歯周病から守る第一歩は、やはり毎日の歯みがき。
とはいえ「嫌がって口を開けてくれない」「続かなさそう」とハードルの高さを感じる飼い主さんも少なくありません。
そこで鈴木先生に、今夜から無理なく始められる『3ステップ歯みがき』を教えていただきました。
①口を触る練習からスタート
いきなり歯ブラシを当てると、ほとんどの犬が身構えます。
まずは唇をそっとめくり、指先で歯ぐきをなでることから始めましょう。
1日10秒でもかまいません。
「口を触られても怖くない」と学習させる準備運動です。
➁歯ブラシを当てる位置を覚える

まず、犬が比較的嫌がらない犬歯や奥歯などの大きい歯からブラシを当てていきます。
狙いは歯と歯ぐきの境目。
そこに毛先を45度で当て、小さく揺らすように動かします。
噛む力が弱くなるシニア期は、この境目から歯垢が溜まるため、面をこするより縁を掃くイメージが効果的です。
各歯あたり10往復を目安に磨いていきましょう。
③1日30秒、難しければ奥歯の外側だけでもOK
完璧を目指して挫折したり、愛犬にネガティブな印象を持たれるより、短時間でも毎日続ける方が結果につながります。
裏側はプロでも磨き残しが出る難所なので無理はせず、家庭ケアは奥歯〜犬歯の外側に的を絞りましょう。
最初のうちは痛がる日や嫌がる仕草が出たら即終了。
嫌な思いを上書きしないことが翌日の成功率を高めます。
「最初は、口を触られることに慣れさせるためにデンタルシートで歯を優しくこすることから始めても構いません。ただしシートは表面を拭うだけで、歯と歯ぐきのすき間の汚れは取り除けません。本気で愛犬の歯を守りたいなら、歯ブラシへのステップアップが必要です。
3日に1度100点の歯みがきを目指すより、毎日6〜7割でいいから続ける。これが歯周病を遠ざける秘訣です」
歯ブラシがどうしても無理な愛犬へ「年に一度のクリーニングという選択肢」
どうしても歯磨きをさせてくれない子もいます。
その場合は無理に歯みがきを続けると、痛みや恐怖心が積み重なってさらに触らせてくれなくなる…という悪循環に陥りがち。
そこで鈴木先生が勧めるのが、年に1回程度、動物病院でクリーニングしてもらう方法です。
「毎日の歯ブラシができないなら、定期的に動物病院で口腔内をクリーニングするのも方法のひとつです。大切なのはどんな形でも、継続的に口腔内をキレイな状態にすることです」
では、病院でのクリーニングや治療にはどれくらいの費用がかかるのでしょうか。
動物病院によって異なる歯科治療費の幅
美容院でカットやカラーの料金に差があるのと同じように、動物病院の歯科治療費も、設備投資の規模・専門スタッフの有無・獣医師が積んできた症例経験などによって変わってきます。
小型犬のスケーリングなら10万円弱で済む病院もあれば、同じメニューでも15万円を超える病院も。さらに歯槽骨まで炎症が及び、抜歯などが加わると25万〜30万円へ跳ね上がるケースもあります。
「術前検査の範囲、抜歯の本数、麻酔に要する時間の長さ、そして術後の点滴や鎮痛管理の内容。こうした要素が見積もりを大きく左右するポイントになります」
処置内容 | 主な工程 | 目安総額 | 代表的なケース |
---|---|---|---|
クリーニング のみ |
術前検査/全身麻酔/スケーリング+ポリッシング | 8万~15万円 | 口臭・歯肉炎のみ、抜歯ゼロ |
部分抜歯 +クリーニング |
上記+抜歯数本・歯肉縫合 | 10万〜20万円 | 奥歯(臼歯)の抜歯 |
全抜歯を含む 重度処置 |
上記+全顎抜歯・術後点滴・鎮痛管理 | 20万〜30万円 | 顔が腫れる・瘻管形成まで進行 |
※費用は取材時点(2025年4月)の一般的な小型犬例。検査項目や犬種・体重で変動します。
※瘻管(ろうかん)…膿が通る細いトンネル状の道
7歳で一度クリーニングを受けると、その後の負担がぐっと軽くなる
「7歳の節目で一度しっかりクリーニングをしておくと、その後は1年半〜2年ごとのメンテナンスで済む子が多いんです。抜歯がなければ次回も10万円台前半で収まります」
軽度のうちに歯石と炎症を丸ごと取り除いておけば、その後は短時間の処置でキレイな状態を保ちやすくなり、愛犬の負担も家計の負担も抑えやすくなります。
保険のチェックも忘れずに
なお、ペット保険は歯科処置を補償外としているプランが少なくありません。
加入中の契約内容を必ず確認し、必要に応じて積立てや医療保険への切り替えも検討しておきましょう。
歯科は専門外の獣医師も多いからこそ、セカンドオピニオンで選択肢を広げよう

「獣医師国家試験の出題数でいえば、歯科は100問に1問出るかどうか程度。大学の講義や実習でも歯科を重点的に学ぶ機会が少ないので、臨床現場に出ても経験を積みにくいのが現状です。つまり一般診療だけでは歯科の経験を積みにくく、獣医師ごとに知識や技量の差が大きく開きやすい分野なんです」
そのため、同じ症状でも診断や治療提案が病院によって大きく異なることは珍しくありません。
かかりつけ医が必ずしも歯科に詳しいとは限らないので、迷ったときはセカンドオピニオンを視野に入れましょう。
- まずはかかりつけ医を受診し、現在の状態と治療方針を説明してもらう
- 不安や疑問が残る場合は、歯科を専門とする動物病院に紹介してもらう/自分で相談先を探してみる
- 専門病院で歯科用レントゲン・CTなどの装置と豊富な症例経験を活かし、複数の治療プランとリスクを比較検討する
セカンドオピニオンは獣医師を替えることが目的ではなく、より良い選択肢を増やすことが大切。
うまく活用すれば、治療内容と費用の両面で納得しやすくなります。
【困ったときのQ&A】読者から寄せられた疑問をまとめて解決
ここからは「無麻酔でも大丈夫?」「抜歯してもご飯は食べられる?」といったシニア犬オーナーからの疑問を、鈴木先生にそのままぶつけてみました。
Q1.歯科治療に麻酔は必要ですか?
A.無麻酔のまま治療すると犬が動いてしまい、わずかな動きでも目や顔を傷つけるリスクがあります。
器具も奥まで届かず、歯周ポケットに歯石や歯垢が取り残されがちに。
表面はきれいに見えても深部には細菌が残るため、歯周病が進行するリスクは高いままです。
全身麻酔で体を動かない状態にし、超音波スケーラーで歯周ポケットの奥までしっかりクリーニングして初めて治療がスタートできるのです。
Q2.麻酔のリスクはありますか?
A.どんな医療行為にも 絶対安全はありません。麻酔も同様で、リスクを完全にゼロにはできませんが、事前の精密検査と処置中の厳重なモニタリングで、限りなく小さく抑えられます。
- 事前検査
血液検査で肝・腎機能を確認し、心電図やエコーで心臓の状態を評価します。 - 処置中の管理
酸素飽和度・血圧・心拍数などをリアルタイムで監視し、異変があれば迅速に対応できる体制を整えます。 - 個別最適化
持病や年齢に応じて薬剤の種類・用量・順序を調整する麻酔プロトコールを組み立てることで、安全性をさらに高めます。
歯周病を放置するリスクの方が大きい場合がほとんどです。
ご不安な点は、遠慮なく担当獣医師に相談してください。
※手術や処置に際して 安全かつ快適に麻酔をかけるための一連の設計図を指します。
どんな薬剤をどの順番・用量で使い、どのようにモニタリングし、覚醒させるか、その流れを体系的にまとめたもの
Q3.抜歯後でも犬は問題なくご飯を食べられますか?
A.そもそも犬は、食べ物をほとんど噛まずに丸のみできる動物なので、全抜歯後でも問題なく食べられます。
デメリットは、ロープをくわえる・木をかじるといった遊びがしづらくなる点です。
とはいえ見た目や咬み合わせのズレは人ほど大きな問題になりません。
毎日のケアが、愛犬の歯を守る一番の近道

歯みがきは治す手段ではなく、進行を止める防波堤です。
口臭や歯ぐきの赤みを見つけたら、まずは動物病院で口腔の状態を診てもらいましょう。
毎日30秒でもいいので歯ブラシで歯を磨いてあげてください。
短い時間でも、コツコツ積み重ねることが歯周病を防ぐ近道です。
毎日の歯みがきは、磨くことそのものだけでなく、口臭や歯ぐきの赤み、出血の有無などを観察するチャンスでもあります。
習慣的に見ておけば、小さな変化に気づきやすくなります。
歯周病は多くの犬が避けられない病気ですが、進行を遅らせることはできます。
毎日の歯ブラシと、定期的なプロのケア。その両輪が、愛犬の腔内と全身の健康を守ってくれるのです。