We are…

2025/12/30

ここまでのパートナーには、わたしの年齢的にも、もう出会えない。

「50歳にもなって、あんなに楽しく遊べるなんて思いもしなかった」
ラブラドールレトリーバーのKoaと全力で駆けた日々を振り返り、オーナーの宮さんはそっと涙を拭った。Koaは取材の2日前に天国へ旅立ったのだ。

取材予定日の前日。
宮さんから、訃報とともに「誰かの役に立つのなら、お話がしたい」と取材を引き受ける旨の連絡があった。
編集部は、取材を控えるべきではないかと迷った。それでも、事前のやり取りを通してふたりのことを知り、好きになっていたこと、そして何より宮さん自身がそう言ってくれているのなら、取材者としてだけでなく、ひとりの知人として直接お会いしたい。そう伝え、自宅に伺うことになった。

当日、宮さんが語ってくれたのは、愛犬との時間が限られていること。そして同時に「自分の人生の中で、犬と暮らせる時間も限られている」という、当たり前でいて、とても大切な事実だった。

※本記事には、亡くなったKoaの写真が含まれます。

目次

50代で迎えた、2度目の青春

▲Koaがいちばん好きだったのは雪遊び。宮さんもまたその時間が楽しみだった。

宮さんは、Koaと過ごした日々を「大変だったことを思い出せないくらい、本当に楽しかった」と振り返る。

「仕事前の早朝にウェットスーツを着て一緒に川を泳いだり、週末は山やプールへも毎週のように出かけたり。よくあんな生活ができたなって、今なら思いますけど…それくらい楽しかったんです」

冬には雪山に行き、スキーやソリ、スノーシューで遊んだ。宮さんが雪の斜面を勢いよく滑り、Koaがその後を追いかける。その時間がふたりにとって何よりも特別なひとときだったのだ。

「50の大人が、雪で大はしゃぎする機会ってそうないけど、Koaがいてくれたおかげで『この歳でもこんなに楽しく遊べるんだ』って感動したのを覚えてます」

当時は娘さんが大学に進学し、家を空ける時間が多かった頃。寂しく感じることもあったというが、その空白もKoaが埋めてくれていた。

▲去年の12月。ほとんど歩けなくなっても一緒にソリで遊んだ。

そんなアクティブな日々は、Koaがハイシニアになってからも変わらなかった。

車椅子に乗るようになっても毎日外へ連れ出し、昨年の12月には大好きだったスキー場にも足を運んだ。ソリで斜面を何度も滑り、かつてのように一緒に風を感じた。

やがて寝たきりになってからも、カートに乗せて毎日散歩に出かけた。

Koaを迎えてからお別れの日まで、宮さんとKoaは全力で走り続けたのだ。
その日々はまるで、二度目の青春のような、心に残り続けるかけがえのない時間だった。

賢くて、自由で、なんでも食べてしまう犬だった

▲Koaは散歩中、「楽しいね」と伝えるようによく笑顔を向けてくれていた。

宮さんは子どもの頃から犬を飼うことを夢見ていた。
当時は両親の反対により叶わなかったが、40年の時を経てようやく実現する。

「高校生になった娘が『犬を飼いたい』と言い出して、これはチャンスだと思いました(笑)」

気になっていたラブラドールレトリーバーのブリーダーを訪れ、そこでKoaと出会った。
迎えられたKoaは、とにかく賢く、自由で、いたずらっ子。幼い頃の「盗み食いエピソード」は尽きないという。

「アーモンドチョコを車に常備していたんですが、どこに隠してもKoaは見つけ出して食べちゃうんです…。器用に箱を開けて…」

ほかにも、カニを2杯まるごと食べたり、パンやシュトーレンをまるごと食べたり、缶詰を自分の歯で開けて中身を食べたり。今ではすべて笑い話だが、当時はたくさん心配と苦労をしたと話す。

Koaが盗み食いをするたび、急いで病院に駆け込み、吐き出してもらってきた。

▲Koaの足元には、贈られたパンやシュトーレンが並べられていた。

悔しくなるほど憧れた人

koaとの暮らしにおける基本的なしつけは、宮さん自身が本やセミナーで学びながら行なってきた。

目指していたのは、命令で従わせる主従関係ではなく、パートナーとして信頼関係を築くこと。
ただ当時は今ほど情報も多くなく、吠えや攻撃性などの問題行動はなかったものの、盗み食いを止めることはできず、決してうまくいっていたわけではなかったという。

そんな試行錯誤していたある日、後の運命を大きく左右する出会いが訪れる。

アメリカ海軍警備部軍用犬部門でトレーナーを務めていた人と、当時よく訪れていたペンションで出会ったのだ。
そのトレーナーは、そこで開かれるイベントでのミニレッスンの講師として来ていたが、話を聞いた宮さんは強く感銘を受け、個人的にトレーナーをお願いすることにした。

こうして、トレーナーの仕事が休みの日に合わせて、自宅から1時間半かけて通うようになった。

▲トレーナーをお願いしたCobyさんと愛犬のニモ

「彼は2頭のロットワイラーを飼っていらして。難しい犬種なのに、犬と心が通じ合っているというか…信頼関係の厚さがビシビシと伝わってくる感じがあったんです」

Cobyさんから受けた言葉で、今でも忘れられない言葉がある。

「かよちゃん(宮さん)、Koaのこと見てないよね」

大切なのは、常に愛犬を視界に入れること、そして身体のどこかに触れておくこと。愛犬の状態や気持ちを常に感じ取り、理解することが飼い主の役目だと教えられたのだ。

「Cobyさんの犬を犬として尊重する姿勢とか、犬たちから信頼されている関係に、いつも刺激を受けていました。『わたしもこうなりたい』って本気で思えた存在が、彼でした」

トレーニングは、家庭の事情で半年ほどで終わることになったが、その時に抱いた思いは今でも宮さんの中に生きている。

▲14歳になりゆっくり歩くKoaと、その姿を見つめながら歩く宮さん

以降、Koaとの接し方も少しずつ変わっていった。
意識的にKoaを見て、触れて、本気で遊ぶ時は思い切りテンションを上げ、そうでない時は自然体で接する。

すると、Koaからの信頼も少しずつ感じられるようになったと宮さんは話す。

Koaが突然歩けなくなった日

▲玄関に置かれていた、Koaを乗せた車椅子とカート

最後の1年間は寝たきりの生活を送っていたKoa。老化を感じ始めたのは、9歳の時だった。

いつものように川遊びをしている途中、Koaの後ろ脚が少しガニ股になり、ふらついたように見えたという。
病院での診断結果は「馬尾症候群」。

宮さんはその診断をきっかけに鍼灸と薬膳を始めた。
さらに11歳の時に「変形性脊椎症」と診断されると、整体やバイオレゾナンスも取り入れるようになった。

▲バイブルにしていた薬膳書。よく使う食材のページには付箋がついている。

宮さんが特に力を入れていたのは薬膳。鍼灸を担当した獣医師から勧めてもらい、宮さんはいくつかの本を購入し、勉強を始めたという。

「五行説という考え方があって、先生から『Koaは”火”の犬。元気いっぱいな性格なのはその特性が影響している』と言われて、妙に納得しました」

■五行説とは

東洋医学の考え方のひとつで、すべてのものは「木・火・土・金・水」の五つに分類され、互いにバランスをとっているという説(例:「火」炎のように盛んな性質、「水」は冷たく流れる性質で火を打ち消す、など)
薬膳では、この考え方が食材や調理方法を選ぶ際の指針とされる。

この考えを知ってから、宮さんはKoaのごはんを見直した。
ラムや鶏肉中心だった食材を、豚肉や牛肉に切り替え、体を温めすぎないよう調理方法にも気を配るようになったという。

こうした薬膳の工夫や、整体・鍼灸といったケアは、ハイシニアになっても続けてきた。

その甲斐もあって、治ることのない「変形性脊椎症」を発症してから2年。Koaは13歳になっても颯爽と走ることができていた。

それでも年齢とともに、少しずつ変化は現れていった。
次第に足腰は弱り、15歳になる頃には認知症の症状が出はじめ、首が傾いたままその場をぐるぐると回るようになった。

ほとんど同時期、昨年11月には「小脳梗塞」を発症。
なんとか回復はしたものの、先は長くないかもしれないと感じた宮さんは、「最後に自分の足で歩かせてあげたい」と車椅子を購入した。

それからは、毎日のように公園へ連れて行き、一緒に“グル活”をする日々が始まった。

▲車椅子に乗って、自分の脚で歩くことは楽しそうだった。

それからの1年間、Koaは何度も体調を崩し、ときに危ない状態になることもあったというが、そのたびに持ち直してきた。

しかし今年の10月、16歳になったKoaは、唯一動いていた左前足も動かせなくなる。

「そうなれば」と宮さんは、Koaをカートに乗せて外に連れ出し、一緒に陽を浴びた。

カートに寝そべる形で散歩をしていると、ときに「可哀想」と言われることもあったそうだが、宮さんが迷うことはなかった。

「Koaはすべてを受け入れて今を生きているのだから、昔と同じように外に連れ出して、私も一緒に楽しんであげたかったんです。
『歩けたらもっと楽しかっただろうな』と思うことはあったけど、こうしてあげるのがKoaの願いだったと思います」

認知症もあったため表情には現れづらかったというが、目の動きや身体の反応を見ていて喜んでいるのが伝わってきたという。

「Koaは最後まで『自分は歩ける』って思っていたと思います。
車椅子に乗せると『そうそう、こんな感じ』と歩き出したし、車椅子に乗れなくなってからも、ハーネスで身体を浮かせてあげると、数十mの間、脚を地面につけて動かしてましたね」

▲公園に来て笑顔を見せるKoa

最期はわたしを待っていてくれた

今年の1月、苦難がふたりに重なった。
Koaの本格的な介護が始まった矢先、追い打ちをかけるように宮さん自身にもガンが見つかったのだ。
それからは介護と闘病を、同時に抱える日々が始まった。

入院や通院時は、娘さんや友人、ドッグホテルを頼り、自宅で過ごせる日は、Koaの食事や排泄の介助をひとりで続けた。

「圧迫排尿も、後ろ脚が立たなくなって、前脚の踏ん張りも効かなくなってからは、身体を持ち上げても伸びてしまってうまくできない。
ごはんも身体を支えながらお皿を持って、曲がった首をお皿の位置まで運ばないといけないので手が足りない。
脚が突っ張るようになってからは、車椅子に乗せるのも、カートに乗せるのも、本当に重労働でした」

自身の治療の大変さも重なり、弱音を吐くことも多々あったというが、周りの人に支えられてきたと話す。

「ふたりとも満身創痍だった」という日々の中で、宮さんは不思議な体験をする。
横になっているKoaに声をかけると、何度も何度も頷くように返事をしてくれたのだ。

さらに8月末。宮さん自身が手術のために入院をした日、Koaが体調を崩した。
宮さんの退院日には危ない状態にまで陥っていたというが、Koaはそこから持ち直した。

「Koaは『最後まで生きる姿をママに見せるから、ママも絶対に諦めないで』って言ってくれていたんだと思うんです。
正直ずっと辛くて、弱音も吐いたし。Koaはそういうことも分かっていて、励ましてくれたんだと思う」

これらの出来事を通じて、宮さんのなかで覚悟が定まっていった。

「自分の体調がどうであれ、Koaがしたいことをできる限りしてあげようって、思えるようになりました」

今年の12月、宮さん自身の治療が落ち着き、体調も回復してきた頃。
Koaは元気になった宮さんを見て安心したのか、振り絞っていた最後の力が緩めるように、体調を崩し、嘔吐が続くようになる。やがて、ごはんを口にしなくなっていった。

そして12月11日、Koaは穏やかに息を引き取った。

ここまでのパートナーには、もう二度と出会えない

▲棚に飾られていたKoaのミニチュアたち。生前はKoaのお腹の上に乗せて呼吸を確認していた。

Koaが亡くなる2日前、嘔吐が落ち着いたKoaと一緒に、行きつけのカフェへ挨拶に出かけた。
そこでは、Koaをよく知る常連さんたちが、やさしく身体を撫でてくれたという。

その翌日には、幼い頃からの親友の犬を誘って最後の散歩に出かけた。
かつてのように公園で触れ合ったり、写真を撮ったりしながらゆっくりと時間を過ごした。

「Koaは昔からたくさんの人に愛されていた。特にカフェのオーナーはKoaを誰よりも愛してくれていて、Koaが亡くなった日は、店を閉じてすぐに家に来てくれました」

お別れは取材の翌日、そのカフェの前で行なわれる。お世話になったオーナーや常連さん、友人に囲まれて、手配した火葬車で見送られる予定だ。

最後までたくさんの愛情をもらったKoaの犬生は、間違いなく幸せだった。

▲宮さんは、亡くなったKoaを何度も何度も撫でた。

「ここまでのパートナーには、私の年齢的にも、もう出会えないと思うんです。
私自身ももうシニアなので、もし次の子を迎えても、Koaの時と同じように全力で遊んだり、支えたりすることができないと思う。Koaと過ごした日々は、人生で一度きりの特別な時間でした」

Koaとの時間だけでなく、そもそも「犬と暮らす」こと自体、自分の人生において限られた時間にしかできない。宮さんはKoaを看取って、そのことを気づいたと話す。

それでも宮さんは、Koaと過ごした日々を「本当に楽しかった」と取材中、何度も口にしていた。

Koaと本気で遊んだ思い出も、向き合った介護の日々も、全てがたからもの。

宮さんはKoaの頭にやさしく手を添えて話した。
「Koaに出会えて、あんなに楽しい時間を過ごせて、本当に良かった」

▲自宅の表札には「Koa」の名前が書いてあった。

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