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2025/12/03
寝たきりになった愛犬と、ワーゲンバスに乗って目指す次の目的地。

北は北海道、南は鹿児島まで、歴代6頭の愛犬たちとワーゲンバスに乗って旅をしてきた岩本ご夫妻。
目的地は、いつも人のいない開けた場所ばかりだった。地平線上に自分たちしかいない場所をいくつも訪れた体験は、ふたりや愛犬たちにとって宝物のような記憶になっている。
現在は、ワイマラナーのホノ(15歳)とボストンテリアのパール(1歳)と暮らす。2年前、ホノの後ろ脚に麻痺が現れてから介護の日々が始まったが、「歩行器」や「排泄補助台」を自作したり、昔のように旅に連れて行ったり、岩本家らしく過ごす日々がそこにはあった。
目次
岩本家にいつも2頭の犬がいる理由

初めて犬を迎えてから31年間、常に2頭の犬がいる暮らしを送ってきた岩本家。その日々はペットショップで1頭のダルメシアンと出会った時から始まった。
店員に話を聞くと「生まれつき耳が聞こえないため売ることができない」とのことで、すでに生後6ヶ月。ほとんど成犬サイズにまで成長していたが、岩本ご夫妻はその犬を迎え入れたいと名乗り出たのだった。
「『101匹わんちゃん』が好きなのでダルメシアンと暮らしてみたかったんです。昔、旦那がドーベルマンを飼っていたし『大型犬でも大丈夫だろう』と。すでに『101匹わんちゃん』のような子犬ではありませんでしたけどね(笑)」(奥さん)
そうして迎えられたダルメシアンの「ルック」だが、活発な性格に加えて、耳が聞こえないため不安を感じやすく苦労したとふたりは話す。
しかしその4年後、ラブラドールレトリバーの「クララ」が家族に加わると、暮らしに変化が起きた。
「『犬が犬を助ける』じゃないけど、私たちがルックのことを呼ぶとクララがルックを連れてきてくれたんです、呼ばれてるよって。その姿に感動しちゃったんですよね。
それにお互いにくっついて過ごしてるのを見ると、犬同士が体温を感じて、落ち着くんだろうなと思うんです」(奥さん)
現在に至るまで、常に2頭の犬がいる暮らしを送っている理由はこの時の体験があるからだと話す。

ルックとクララから始まった2頭の犬との暮らしはその後も続いていくが、2頭いることの良さは後の旅行やシニア期を迎えてからの介護でも感じることになる。
犬と旅することが夢だった

旦那さんには以前から「クルマに乗って犬と旅をしたい」という夢があったという。
その中で2004年、ディーゼル規制により旧車に乗れなくなるタイミングで、丸みを帯びた可愛らしい顔つき、カスタマイズ性が高く車中泊もできる「フォルクスワーゲン・タイプ2(通称ワーゲンバス)」に乗り換えることにしたのだ。
購入してからは車中泊に備え、後部座席から荷台までを取り外しフルフラットにして、その上にベッドを敷き詰めた。それら全て自分たちの手で行なったのだという。
元々、何かを作ったり改造したりするのが好きだと話す旦那さん。そのDIYスキルは、後の介護グッズ制作にも生かされる。
当時はルックとクララと暮らしていた頃、万全な準備をして初めて向かった旅行先は北海道だった。
それ以降も、仕事の傍らで月に1回、日本各地へ。GWなど長めの連休が取れた時には、自宅のある千葉県から鹿児島県や北海道への1週間以上の長旅にも出かけてきた。

行く先々は、いつも人のいない開けた場所ばかりだった。
奥さん「大型犬を怖がる方もいるので、なるべく観光地は避けていたんです」
最初のきっかけはそう話すが、今では好んでそのような場所を探しているという。
ガイドブックに載らない、まさに秘境のような場所への旅を通じて、ふたりの楽しみ方は広がっていった。

そんなふたりに、思い出に残っている旅BEST3を聞いてみた。
「思い出に残っているのはどこだろう、四国を回ってうどんを食べたのは楽しかったかな」(旦那さん)
「私は本州の日本海側を上から下(山口県)まで行ったのも楽しかったよ」(奥さん)
「あとは北海道もしばらくハマって、毎年行ってたね」(旦那さん)

目的地に向かう道中では、2時間おきにクルマを降りて、犬たちと近くを散歩したり一緒に遊んだりしてきた。
「旅先はいつも自分たちの気分次第で決めていて、犬たちには付き合ってもらっている…(笑)カヌーの写真も早朝5時だったので、うぎは眠そうなんです(笑)」(奥さん)
「それにクルマにクーラーがついてないので、夏場は夜中に移動、日中は涼しい場所で過ごす。犬たちは相当大変だったと思う…揺れも音も激しいですし(笑)」(旦那さん)
付き合ってくれた犬たちへの感謝と若干の謝罪を含みながらそのように話したが、写真に写る犬たちの表情は輝いていた。

しかし愛車とするワーゲンバスは1961年製。古いクルマのため、旅先で故障してしまうこともあるのだという。
北海道から自宅に向かう途中でアクセルワイヤーが切れてしまったことがあり、その時は2時間ほどかけて旦那さんが修理する間、奥さんは犬たちと散歩を楽しんだのだそう。
「(ワーゲンバスは)本当に大変です。でもどうしてか乗り続けちゃいますね」(旦那さん)
手をかけていないと壊れてしまいそうなワーゲンバスに愛着が湧き、今日も乗り続けている。

ホノの後ろ脚に現れた麻痺
旅行中は「ぶび」や「うぎ」と駆け回り、日々の散歩では1日10kmを走破していたホノも、13歳になると後ろ脚に衰えが見られるようになった。
始めはふらつく程度だったが、症状の進行は早かった。わずか1ヶ月で自力での歩行が難しくなり、かかりつけ医からは「神経系疾患による麻痺」の疑いを告げられる。
全身麻酔による負担を考慮し追加検査は見送られたが、夫婦の介護生活はここから始まった。

始めはハーネスを使って散歩をしていたが、麻痺が進むにつれて30kg近いホノの身体を支えることができなくなり、既製品の歩行器を購入してみたものの、こちらもサイズが合わず使えなかった。
そこで持ち前のDIYスキルを生かして、歩行器を自分の手で作ることにしたのだった。

タイヤや金属の支柱など使えるものはそのまま活用し、お腹が下がらないよう支えるために板材を取り付けた。
それ以降も、ホノの状態に合わせて改良を重ね、後ろ脚が揺れないように固定する板やロープを取り付けたり、歩行器の安定性を増すためにタイヤを大きくしたり角度を調整したりしてきた。

また排泄時に身体を支えるための台座(通称「排泄台」)も自作した。
これはホノの身体を台座に乗せることで、圧迫排尿と同じような体勢になり尿や便が出るという優れもの。アイデアの発案から制作まですべて自分たちで行なった。
「ホノは膀胱炎になりやすいのでおむつが使えない。ただ持ち上げたり支えたりするのも大変なので排泄台を作ったんです」(旦那さん)

排泄台と同じ要領で、食事中やシャンプー中に身体を支えるための台座も制作。ホノの日々はふたりが創作した数々で支えられてきた。
家族がいることの安心感
ホノの麻痺が現れてから半年後、ボストンテリアの「うぎ」に悪性腫瘍が見つかり、その3ヶ月後に息を引き取った。
そしてその影響はホノにまで及んだという。
「ホノは『ハウ、ハウ』ってうぎのことを呼ぶんです。いつもそばにいたのに何でいないのかって。次第に元気もなくなってきて、このまま老衰しちゃうんじゃないかって本当に心配でした」(旦那さん)
そんな時に、同じボストンテリアの「パール」との出会いがあった。

「やっぱり子犬のパワーはすごくて、ホノも元気になっていきました。顔やお腹を踏まれて嫌がることも多いですけど、やっぱりくっついてると安心するんだと思います」(奥さん)
ホノはこれまで3頭のボストンテリアと暮らしてきた。子犬だった頃には「ぶび」、同じ成犬時代を過ごした「うぎ」、そして現在は「パール」。
次第に甘える側から甘えられる側になったが、家族がいることはホノの安心に繋がるのだという。

次の旅行の目的地
現在のホノは、歩行器には乗らず寝たきりの生活を送っている。
夏場には体調を崩し、ごはんを全く食べない日も続いたというが、先生からの助言でホノが興味を示しそうな食べ物を片っ端から試すとチュールに興味を示し、さらに一口舐めるとそこから「食への執着心」が復活。通常のフードも食べるようになり、みるみる元気を取り戻していった。
それから数ヶ月。褥瘡になったり、日中過ごしているソファから落ちる小さな事故などもありながら、体調は崩さず元気に過ごしているという。
「最近は体調も安定しているので、この間は3泊4日の旅行にも行けたんですよ」(奥さん)
ホノは、ワーゲンバス特有のクルマの揺れを感じて心地良く眠りながら、目的地に着くとキャンプ用ベッドの上で一緒に外気浴をする。
「獣医の先生は少しドライだけど『この年齢だといつ亡くなってもおかしくない、生きていること自体がすごいことだ』と言っていて。それなら検査や通院も大事だけど、ホノにはできる限り今までと同じように過ごさせてやりたいんです」(旦那さん)

「次は北陸の方に、1週間くらい行こうかなって思っています」(旦那さん)
以前よく行った場所でもあり、取材中にも思い出話に一花咲かせた場所。いまから楽しみにしている様子だった。

執筆時点では、ふたりはまだ旅行の真っ只中。ワーゲンバスに15歳と1歳の犬、そして先代の愛犬たちとの思い出を乗せて、これからも岩本家の旅は続く。
